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この号の特集/ |
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| プーケットはどうなったか? クーデター後のミャンマー |
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| 2005年3月号(通巻64号)/680円 | ||||||||||
| 2005年3月号から: | ||||||||||
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【特集】 文 谷口狂至/写真 アーイゲーオ |
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被災12か国、死者16万人超、数知れぬ行方不明者、数百万の避難民、天文学的な被害額……地球というものの恐ろしさを、人類にまざまざと見せつけた現代のアルマゲドン、スマトラ島沖巨大地震、そして大津波。新年早々、世界は追悼ムードに包まれた。
Gダイアリーの母国たるタイも5200人の死者、4000人を越える行方不明者を出した上に、プーケット、ピピ島、カオラック、クラビー、パンガーといった南部アンダマン海のリゾートが軒並み壊滅。人的にも、経済的にも、大打撃を受けることとなった。日本人も各国で24人が死亡、40人以上の安否がわかっていない(数字はすべて執筆時)。 オキニを連れてカオラックのリゾートで過ごした思い出を持つ読者もいるだろう。プーケットのバービアで癒された読者だって多いはずだ。あるいは、インド南部やスリランカを、汗をかきながらリュックを背負って旅した経験を持つ方も、きっと小誌を読んでくれていることと思う。もちろん、Gダイスタッフひとりひとりにとっても、どの被災地も思い入れの強い場所だ。 義を見てせざるは勇なきなり。この一大事を捨て置けば、アジアに世話になっている日本男児ではない。我々Gスタは、読者を代表して、被害の傷跡未だ生々しい被災1週間後のプーケットに上陸した。
とあるGスタの悪魔のような誘い文句に、僕は大いに乗った。ウキウキした気分で年末の雑事を済ませると、むさいむさい男Gスタ3人臭……いや3人衆、バンコクからマレー半島を一路南下するのであった。 当初は「プーケットに寄ろうか」なんて話もあったのだが、結局ダイレクトでタイ湾のとある島に上陸。さらに埠頭からソンテウ(乗合いバン)で島の奥深くを目指す。 やがて、周囲はジャングル・道はガタガタ未舗装路・ケータイ圏外と、いい感じに文明から隔絶された、とある小さなビーチにたどりつく。 そこには、いずれ紹介する機会もあろうかと思う「Gダイアリー特別保養施設」が存在するのだ。まあ平たく言えば、法の及ばぬパラダイス。かのグリーンピアより黒いと言われるこの福利厚生施設に籠って、明日の誌面を語り合う。僕はそんな年越しをボンヤリ想像していた。そんなわけなので、ソンテウを降り目的の楽園に到着して10分後には、魂の一服を深々とキメて、一年の苦労を洗い流す我々であった。今年も一年間、おつかれさまでした! その翌朝のことだった。 我々のいるタイ湾から、幅の狭いマレー半島を越えた先のアンダマン海では、地獄が展開されていた。そのインパクトはまさに人類史上有数、マグニチュード9.0の膨大なエネルギー量は阪神大震災の実に1600倍に達し、時速700キロのスピードで高さ10メートルの巨大津波がインド洋諸国の沿岸に殺到した。 地球は鳴動し、地軸はずれ、自転速度と一日の長さが変化してしまうほどの、まさに天変地異だった。 ちょうどその頃、すでに寝起きの一服を終えた我々は、朝日に輝くビーチを夢見心地で平和に散歩していたのである。 「お前らが流されりゃよかったんだ!」 とお思いの読者も多いことだろうが、まったく同感である。我々のようなどうでもいいクズがのうのうと生き残り、まだ死ぬべきでない多くの命がインド洋に呑まれた。年末の休暇はアンダマン海か、タイ湾か……ただそれだけの違いだった。人の運命なんて、本当にわからないものである。 それから数日間、食っては吸い、吸っては寝てとブタのような毎日を過ごしていた我々であったが、時間が経つにつれ深刻さが増していく被害の様子を見て、さすがに休暇を切り上げることを決意した。ある程度状勢が沈静化するのを待ち、年が明け、被災から1週間後にプーケットに入った。 ◆深夜のプーケットタウンに上陸 街の雰囲気はどうだろうか……と注意を凝らして見てみるが、至ってフツーなんである。確かに観光客らしき姿は少ない。しかし男の殿堂マッサージパーラーは営業しているし、屋台じゃタイ人が楽しそうに酒を飲んでいる。島といってもプーケットは人口26万人の大きな島、ビーチまでソンテウで30分以上もかかる中心都市プーケットタウンでは、普段とそう変わりはない様子だった。 しかし、ホテルが見つからない。どこに行っても満室だと断られてしまう。逃げ出したリゾート客の代わりに、世界各国から報道陣やら国際機関、援助組織などなどが押し寄せているためである。 何軒目かの宿にも断られ、さてどうするべえか、と思案する我々の前に、日本語ペラペラのうさん臭いオヤジが現れた。 「空いてるホテル知ってるヨ。車で5分くらいカネ。私タクシー。100バーツでいいヨ」 と切り出し、 「お客さん、マスコミですカ? タクシーチャーター、1日5000バーツでいいヨ。どこでも行くヨ。ガイドもするヨ。大丈夫ちゃんと私、レシート書く、領収証書くネ。お金払うアナタじゃない会社ヨ」 などと、このご時世なのに多くは経費ジャブジャブの日本の大手マスコミ諸社をよろめかせそうなセリフをまくしたててくる。 確かにマスコミの端くれに違いはないが、我らは天下のGダイアリー、そんな経費を払う余裕はどこにもない。なので空室があるというホテルまで案内させて、慰問金込みとして100バーツの言い値を呑んだ。 ◆同宿の救助隊員に敬礼! このホテルに大量に投宿しておられたのが、はるばる日本からやってきた国際緊急援助隊救助チームの皆様である。外務省、警視庁機動隊、海上保安庁、東京消防庁など各省庁から選りすぐられた災害救助のプロフェッショナルたちだ。大東亜の同胞を苦難から救うため、遠き地より急遽駆けつけた熱き男たち。まさに国士と言うべきではないか。その血潮に、たくましい背中と引き締まった表情に、僕はあふれるものを抑えることができなかった。 彼らは毎晩、深夜になるとちらほらロビーに集まってきた。その時間になってやっと自由が持てるのか、階下のレストランに降りてきてチビチビとしんみりと、疲れ果てた顔でお通夜のように酒を飲むのだ。そんな彼らを見て、どうにか慰問ができないものかと煩悶した。島から持参してきた危険なミヤゲをご賞味いただいて、心の底からリラックスしていただおうか。あるいはGダイらしく、夜の街をご案内して気分転換の一助にしていただこうか。 3人であれこれと話し合ったが、結局「悪の道に引きずり込んではならない」という結論に達し、影ながら見守ることとした。どこぞの大新聞に「救助隊員、現地風俗通い」「甦る従軍慰安婦の恐怖」などと書き立てられてはたまらない。
一体どれほどの被害が……とドキドキしながらソンテウに乗っていたのだが、いざパトンに着いても、特にどうということはない。警官が多いとか、災害用ATM車が出動しているとか、観光客の姿がぜんぜんないとか、確かにフツウの雰囲気ではないが、壊された建物が並んでいるわけでも、廃車や死体が散乱しているわけでもない。一見、平和そうであった。 だが……ビーチに至るバングラ通りに入ると、世界が一変した。
「ツナミは胸の高さまで来た。そこからはよく憶えていない。とにかくもがいて泳いで、逃げたことしか……」 とあるレストランのおっさんは、あまり悲壮感もなくそう話してくれた。我々はそんな言葉にうなだれて、つらい顔をしてパトンを歩く。 ビーチに面したタウェウォン通りは、もう言葉も出なかった。 破壊、破壊、破壊。 あたり一面、視界の限り、巨大津波のツメ跡が残されていないものはなかった。全滅だった。マクドナルドも、スターバックスも、ワトソンズも、日本語の看板を掲げた旅行代理店も、有名なホテルも、タイの暮らしで見慣れた何もかもが、なぎ倒され、泥土にまみれ、塩を吹き、ぶっ潰されていた。 ショッキングだった。ただただ立ち尽くすしかない惨状に、Gスタは泣いた。美しさを取り戻した海だけが、妙に浮いて見えた。
その後に行ったカマラビーチは、さらにドエライことになっていた。パトンでは全壊をまぬがれた建物もけっこうあって、多くは「店の中」「ホテルの中」など内部だけの被害なのだが、カマラビーチはひどかった。 ビーチに沿って並ぶレストランやショップは内も外もなく全壊。土台ごと、持っていかれている。どこかのんびりムードの漂うパトンとは違い、悲壮感と絶望感が入り混じった、どうしようもない空気が流れていた。 砂とガレキと、ヤシの残骸を踏みしめながらビーチを歩く。年末年始のシーズンとは思えない、無人の砂浜。 沖合いには海上自衛隊からイージス艦「きりしま」が出動し、遺体の捜索にあたっていると聞く。はるか彼方に見える、軍艦らしき船影がそれなのだろうか。祖国を遠く離れた、こんな南洋の島で、御国の盾に会おうとは……。『亡国のイージス』さながらに、手を振って大声を上げたくなってしまう僕であった。自衛隊も米軍も、この歴史的大災害にあたり、史上最大規模の部隊をインド洋各国に展開、救援活動に尽力している。 ◆大使館、大手マスコミは猛省せよ! ガラクタと化した車やバイク、散乱するガラス片やガレキ、無人のホテル、骨組みだけになった建物、埃と泥だらけのソイ……そんな景色が行けども行けども広がる。 残骸のあちこちには、各国の大使館から、自国の観光客に向けたメッセージが貼り出されていた。手書きだったり書面だったりさまざまだが「生存している国民は至急以下に連絡されたし」というもので、電話番号やメールアドレス、URLが添えられている。母国で心配している家族のために、安否確認をしているのだ。悲しいことだが、日本大使館のものは見当たらなかった。 有事になるとサッパリ役に立たない……というよりも足を引っ張ってくれる日本の在外公館だが、今回も同様だった。 以下はとあるウェブサイトからの報告だ。スリランカで被災した日本人女性が、命からがらコロンボまでたどり着き、日本大使館で受けた対応である。 「大使館の職員に、津波に巻き込まれて……と説明すると、お金は貸せませんという冷たい答えが返ってきた。津波にまぎれてお金をもらおうする怪しいヒッピーだと疑われたようだ」 この女性は水着姿のまま被災し、コロンボまでの道中でもらった服を着ていただけで、泥水を浴びたままの格好だった。2日間、ほとんど飲まず食わずであったという。 「私はお金も一銭も持ってないし、スリランカに知り合いもいない。パスポート、航空券も流されてしまって、どうすればいいんですか! と泣きじゃくっても取り合ってもらえず、待たされること6時間。ようやく相手にしてくれた大使館の職員の口からは、いくら貸してほしいんですか? という言葉。何にもないし、服や食べ物、泊まるところ。4、5万円くらいほしいのですが」 「貸せるのは130ドルまでです。パスポート再発行には1万円かかります。借用証を書いていただき、利息は1日1%……云々」 窓口で差し出されたのは、なんと4枚にわたる規約と日割りの計算表、返済用の振込み用紙だった。 「これじゃ、今夜のホテルをとることもできません。」 「じゃあ、今晩はそこの長椅子で寝てもいいですよ」 行く場所はない。仕方なくその場で空腹と疲労を抱え、一夜を過ごした。途中、夜営のおじさんが見かねてくれたビスケットを食べてしのいだそうだ。 毎度毎度、やらかしてくれる日本大使館である。ちなみに在コロンボのインド大使館は、事情を説明するとすかさずその場でビザを無料再発給。インドまでの航空券も、やはり無料で再発券してくれたそうだ。 この女性の家族は、外務省に捜索願いを出していた。当然のことだろう。しかし大使館でお金を借りて個人情報を提供したにも関わらず、外務省から家族への安否連絡は一切無し。結局、本人が家族に連絡できるようになるまで、外務省は何ひとつしてくれなかったということだ。 役所だけではない。NHKを初めとする大手マスコミは、この歴史的大災害を無視し続けた。BBCやCNNのみならず、世界各国のマスコミが特番を組んで、9・11やイラク戦争級の報道を続ける中、日本ではヘドが出るほどクソくだらない年末バラエティ番組を垂れ流していた。行方のわからない邦人が多数いるのに、この始末である。「正月気分に水を差す」「取材に行くにもみんな休暇中」という理由らしいが、あまりにナメた仕事ぶりと言えよう。 さすがに他国の報道を見てアセったのか、三が日が明けてからは多少は気合いを入れているようだが、ハッキリ言って遅すぎる。タイ人よりもインド人よりもノロい。 特に、海外在住邦人に情報を提供する立場にあるNHKワールドの姿勢は、糾弾されるべきものである。刻々と被害の凄まじさが明らかになっていく中、特番も組まずニュースも通常通りで、再々放送の「プロジェクトX」や「英語でしゃべらナイト」とかをのんびりボンヤリ流していた罪は重い。どれだけ多くの在外邦人が、NHKを頼りにしているのか、わかっているのだろうか。 被災した日本人に対するパスポート再発給料金の無料化についても、やっと検討が始まったばかり。今すぐやれやボケ!
夜のパトンは悲しい。 バービア街はたったの1週間でだいぶ復興し、すでに営業を開始している店も多くあるのだが、肝心の客がいないのだ。報道陣や援助組織は立場上遊ぶことが憚られるのか、プーケット在住と思しきダメ系ファラン(欧米人)が、チビチビと飲んでいる程度だった。こんな寂れたパトンは、見たことがない。 あまりにもガラガラなので、見かねて一軒のバービアに入った。カーンペン・ペッから出稼ぎに来ているというふたりのバービア嬢は、ツナミなんか無かったかのように、キャッキャッと楽しそうにはしゃいでは、我々にちょっかいを出してくる。思いっきり被災しているハズなんだが、この明るさ、いつも通りの態度はどうしたことか。タイ人はやっぱりよくわからん。 一杯飲んで、軽くセクハラをかまし、店を出る。大通りに出れば、ソンテウのおっさんがエロ写真を手に「ソープランド?」と声をかけてくる。バイタクが人差し指を立てて「乗らないか?」と合図してくる。 日本人は新潟でも神戸でも、被災のあとは沈鬱に、そして粛々と復興を目指した。タイ人は普段と同じように、特に何も考えず、後始末に精を出す。そんな感じに見えた。
タイ政府観光庁ははやくも「パトンビーチ再建計画」を立案、発表している。津波に対する防波堤を建設する一方、景観にそぐわないビルなどをこの際に撤去し、また慢性的なビーチ周辺の交通渋滞も解消できるような都市計画が、行政と複数の建築家によって進められるという。 SARSに深南部テロ、そして今回の大津波。大ダメージを受け続けている観光産業だが、プーケットは死んではいない。しぶとく、たくましく、そしてヘラヘラと(尊敬を込めた表現だ)、「アンダマンの真珠」は復活することだろう。 我々にできるのは、せめて遊びに行って、被災地にカネを落とすくらいだ。今回の取材の通り、夜のプーケットも復興が緒に就いた。すぐに活気を取り戻すだろうが、その時に、観光客がサッパリいないのでは寂しすぎるではないか。 Gダイ読者の皆さん。今こそプーケットです。伝染病予防などで立ち入り制限でもされれば別だけど、そうでないなら遊びに行こう。パトンビーチの人々は、いま観光客を待っているのだ。 最後に、この災害で亡くなられた16万柱の犠牲に対し、深い哀悼の意を表します。黙祷――。
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