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フィリピーナの挑戦
チェンマイを騒がせた男
2005年8月号(通巻69号)/680円
 2005年8月号から:

【特集】
日本を目指す女たち
フィリピーナの挑戦

写真・文 八木澤高明



 
 日本のお父さんたちの憩いの場であるフィリピンパブが今、危機に瀕している。日本政府が、フィリピーナへの興行ビザの発給を厳格化したからだ。入国管理局は「人身売買防止」などと高らかに謳うが、冗談ではない。この一方的な措置によって実害を被っているのは、フィリピン国家であり、真面目にタレント育成に励む現地のエージェンシーであり、当のフィリピーナたちである。首都マニラには、日本行きを夢見て頑張っているフィリピーナがたくさんいる。どんなに厳しい状況にあっても、南国の太陽のように明るい彼女たちこそ、日本の未来を照らす一筋の光になるかもしれないのだ。そんなフィリピーナたちの素顔に迫ったレポートをお届けする。


◆出稼ぎ大国の危機
 冷房の効いたマニラ国際空港のロビーを出ると、フェンスの向こうに大きな人垣ができていた。出稼ぎ帰りのフィリピン人を、家族や恋人たちが今や遅しと待ち構えているのだった。

 日本帰りのタレント(興行ビザで来日するフィリピン人)が、大きなスーツケースの上にカップヌードル・シーフード味の段ボールをのせて現れると、フェンス向こうの人垣の中から、小さな妹らしい女の子が「お姉さん、お姉さん」と叫びながら、待ちきれずにタレントに抱きついた。タレントの顔にも笑顔が浮かんでいる。その横では、恋人とキスをする女性の姿もある。空港出口は様々な人間模様が繰り広げられていた。国外で約300万人が働いている出稼ぎ大国フィリピンでは、数年ぶりの再会を待ちきれず空港に足を運ぶ人の数が多いのだ。

 ただ、この人間模様も日本からの到着便に関しては見られなくなってしまうかもしれない。というのは、日本政府が、日本に入国するフィリピン人タレントの数を制限すると発表したからだ。フィリピンパブが売春の温床となっているため、年間8万人に及ぶフィリピン人タレントの数を8000人に削減するというのである。

 一方的な日本政府の発表は、フィリピンサイドに大きな波紋を呼び、マニラではフィリピン人タレントたちが日本大使館を囲み、「私たちは売春婦ではない、仕事を奪うな」とシュプレヒコールをあげるなど、生活の根幹に関わる事態だけに大きな関心を集めていた。

 果たして、今回の一件に関して日本行きを望むタレントたちは、どう感じているのか。生の声を聞くために、僕はマニラに入ったのだった。僕自身も日本で何度かフィリピンパブに行き、フィリピン人女性たちの陽気さに楽しい思いをさせてもらった。ただ彼女たちの現地の姿については、ほとんど知らない世界であったので、今回ぜひ知っておきたいと思った。

◆タレントたちの寮を訪ねる
 ケソン市(マニラ市の隣)にある日本へタレントを送り出しているエージェンシーを訪ね、タレントたちが暮らす寮の取材許可を得た。エージェンシーの社長ギルバート(39歳)によれば、今回の発表によって、100人の所属タレントのうち60人を故郷に帰したという。それに今まで使っていた寮も閉鎖し、代わりに古いアパートを借りてタレントの寮にしているという。閉鎖された寮に足を運ぶと、薄暗い廊下に平仮名、片仮名を学ぶための日本語のボードが残されていた。

 タレントたちが暮らしているアパートへも案内してもらった。マニラの中心部からケソンシティーへ延びる大通りから住宅街の中に入ると、道の両側には焼き鳥や果物を売る屋台が並び、トタン屋根の小さな教会もあり、下町の雰囲気が濃厚に漂ってきた。商店の軒先では男たちがチェスに興じ、こどもたちが駈けずり回っている。そんな人々の生活の匂いが漂う中に、タレントたちが暮らすアパートはあった。アパートの入口は金属製のドアで閉じられていて、中の様子はわからない。ドアを押して中へ入ると、細い通路を挟んで、ベニヤ板で区切られたウナギの寝床のような小部屋がいくつもあった。一部屋を2人から5人で使用し、日本行きを目指すタレントやタレントの卵たち計40人が暮らしているという。

 夕暮れ時に訪れたため、ほとんどのタレントが仕事に出ていていないようなので、翌日からアパートの取材を開始することにした。

 午前10時、タレントたちが暮らすアパートを訪ねるが、彼女たちはまだ夢の中のようだ。アパートに入ったところにあるキッチンで時間を潰すことにする。

 「オハヨーゴザイマス」

 キッチンの椅子に腰をかけていると、中年のフィリピン女性から話しかけられた。今はエンターテインメント稼業を引退し、食事などタレントたちの面倒をみている女性だった。名前はジョアンさん。彼女も以前日本で働いた経験があり、今は一児の母だという。しばらくキッチンで雑談をしていると、思わぬことを彼女から打ち明けられた。実は彼女のこどもというのが、日本で働いている時に妻子ある日本人との間にできたジャピーノで、相手の男性は最初の2年間は送金をしてくれていたのだが、最近はそれもまったくなくなり、経済的に困っているのだという。

 「わたしたちは、日本で暮らしたい気持ちもないですし、ただ月に1万円でいいから送ってもらいたいの。ここに彼の住所が書いてあるから、何とかなりませんか」

 取材初日から、思わぬことを持ちかけられるが、できる限りの協力をすることを約束する。以前、日本で大きな社会問題となったジャピーノ問題は、未だに根深く残っているのだ。

 マニラの太陽が頭上にのぼり、薄暗いアパートの中にも陽が差し込む頃になると、タレントたちがぽつぽつと起きだした。Tシャツに短パン姿の彼女たちの姿に、こちらがドキドキしてしまう。タレントたちの中で最初に仲良くなったのが、ミンダナオ島から来たセシル(22歳)だった。彼女に密着して取材を進めていくことにした。

 部屋にお邪魔すると、彼女が暮らす4畳ほどの部屋には2段ベッドが2つ置いてあり、3人のルームメイトがいた。中にはTシャツにパンティー姿で寝ているタレントもいて、目のやり場に困る。彼女たちはアパートから歩いて5分ほどの場所にあるクラブ(エージェンシー経営)で働き、アパートに帰ってくるのは深夜3時。従って、起きるのはいつも昼頃だ。

 彼女たちは、三々五々起きて、眠そうな目をこすり、洗顔を済ませると台所に食事を取りに行く。食事は野菜のスープとご飯、それに時折ひときれの肉か、一匹の小魚がつく。それを近くのサリサリストアーと呼ばれる雑貨屋から買ってきたフィリピン版コカコーラのパップを飲みながら食べる。ここでの食費や部屋代はエージェンシーが面倒をみてくれるが、日本に行くことができれば、日本で稼いだ給料から差し引かれる。

 食事を取り終える頃になると、それぞれの携帯にメールの着信音がひっきりなしに鳴り続ける。クラブの客や友人からだという。フィリピン人同士は、電話で話すより、メールで連絡を取り合うのが一般的だ。セシルも常に携帯を手放さない。

 日中は部屋で過ごし、夕方6時過ぎにクラブへと向かう。夕食は開店前に店で取る。クラブの客はほとんどが地元のフィリピン人で、外国人は滅多にやってこない。7時に店が開店し、深夜2時まで働き、得られる基本給は50ペソ(約100円)。時折、客との同伴で早く出かける以外は、ほぼ同じような毎日を送っている。

◆遠くなる日本
 カメラ片手にセシルの部屋を日々訪ねながら、彼女の身の上についても話を聞いていった。

 セシルがマニラにやって来たのは、今から7か月前。出身地はフィリピン南部にあるミンダナオ島・ジェネラルサントス市。最近、日本兵発見かのニュースで大騒ぎになった場所でもあり、政府と反政府武装組織の戦闘が絶えない土地だ。マニラに来る前は大学でコンピューターテクノロジーを勉強し、32単位を取得したが、1単位取得ごとに250ペソを払わなければならない学費が負担となり中退。母子家庭であるため、教師をしている叔父さんが学費を払ってくれていたが、いつまでも負担をかけるわけにもいかなかった。父親は軍人で、10年ほど前にモロ・イスラム解放戦線との戦闘で戦死してしまった。父親の思い出を尋ねると、「優しかった」と一言だけ口にした。そして、いつでも日本に行けるようにと部屋の隅においてある生活道具一式が入ったスーツケースの中から、アルバムを出してくれた。アルバムの中に銃を担いだ父親の姿があった。さらにページをめくると、大学時代のセシルの写真が収められていた。アルバムを見ている最中、ルームメイトが入ってくると、セシルはいきなりアルバムを閉じた。ルームメイトとはいえ他人にはあまり見せたくないのだという。大学を辞めたセシルは、実家の近くにあるデパートで販売員として働き始めた、給料は1か月に5600ペソ。8か月働いたが、家族を助けるために日本に行くことを決意したのだった。

 「日本に行けば、フィリピン以上にお金を稼げると聞いていたから」

 マニラに来たセシルは、現在のエージェンシーと契約し、歌手としての勉強を始めた。当時、日本へ行くにはARBという芸能人の資格を取らなければならなかったのだ。

 「マニラは大きな街で賑やかだし、おもしろいけど、ミンダナオに比べたら物価が高いから大変ね。だけど、週に一度はクラブのお客さんと近くのデパートに行って、食事をご馳走してもらったり、映画をみたりするのが楽しいわ」

 ARBを得るための勉強と同時に、夜はクラブで働き始めたのだった。恋人の存在を尋ねると、初めは恥ずかしがって話してくれなかったが、クラブで出会った28歳の恋人がいると教えてくれた。彼は今、ノルウェーで働いているという。電話は高くてできないので、携帯電話のショートメールで連絡を取り合っている。

 順調と思えたマニラでの生活に暗雲が立ち込めたのは、昨年11月のことだった。セシルが契約しているエージェンシーの寮が閉鎖されてしまったのだ。日本の入国管理局が打ち出したフィリピン人タレントのビザ厳格化により、ARBが意味を持たなくなり、ARBを持つタレントは元より、ARBを得るために歌や日本語の練習をしていたセシルのようなタレントの卵たちの日本行きも厳しくなった。少なくとも2年以上の海外での興行経験が日本行きの条件となったのだ。

 今後、彼女は日本に行けるのか、それとも行けないのか、立場は宙ぶらりんのままだ。日本政府とフィリピン政府によるやりとりが続いているが、このままでは彼女の日本行きは厳しい状況だ。

◆彼女たちの選択
 アパートに通い始めてから数日後、昼過ぎにセシルの部屋を尋ねると、いつもならベッドでごろごろしている彼女が珍しくジーパンをはいて、どこかへ出かける準備をしていた。

 「今日は弟の結婚式なの。だから近くのデパートのATMからお金を送ってあげるの」

 18歳になる弟が結婚するのだという。そのために2か月前から貯めていた2500ペソを送るとのこと。1日50ペソの給料と、時折もらえるチップを大切に貯めてきたのだという。彼女の日常生活を見る限り、この2500ペソは全財産といっても過言ではないだろう。

 セシルのルームメイトのシェーン(18歳)にも話を聞いた。セブ島の出身で、高校卒業後に短大へ通っていたが、半年間で1万2000ペソの授業料を払うことができずに中退し、マニラへ来て約1年半が経つ。以前はマニラのデパートで働いていたが、フィリピンでは稼ぐことができない現金を得られる日本で働くことを望んでいるのだった。両親も彼女が日本で働くことを望んでいるという。

 ある日、シェーンが部屋の前で大きな声で何やら話していた。電話口からは、父親だろうか、しわがれた中年男性の声とニワトリの鳴き声が聞こえてきた。電話を終えたシェーンに話しかけてみると、田舎に電話したとのことだった。

 「お父さんが、いつ日本に行けるのかと聞いてきたの。そう言われても、今の状況だからまだわからないと言ったら、がっくりしてたわ」

 セブ島で暮らす両親は農業を営んでいて、米やマンゴーを育てながら生活しているのだという。現金収入はほとんどないので、彼女と兄が家計を助けているのだという。

 こうした厳しい状況の中、彼女たちが暮らすアパートからも、実家へ帰るタレントがちらほらと現れ始めた。福岡に行く予定だったが、予約がキャンセルされたというグレース(22歳)は、マニラにいても仕方がないので、実家からフェリー代を送金してもらい、故郷のミンダナオ島へと帰るといった。彼女がミンダナオ島へ帰る日、フェリーが出る埠頭へ、彼女の友人たちと見送りに行くことにした。微かに潮の匂いが漂ってくる埠頭は、フェリーを待つ客でごった返していた。

 グレースは、どこか寂しさと、故郷へ帰ることができる嬉しさが混ざりあった、複雑な表情をしていた。2年に及ぶマニラでの生活に思いを巡らしているのか、それともまだ見ぬ行けなかった日本のことを考えているのか。グレースの家族は故郷で漁師をしながら暮らしているという。

 「マニラでの生活は大変だから、もう戻って来ないと思うわ。村に帰って、友達や家族と一緒にいたいの」

 グレースの言葉をまわりの友人たちが寂しげに聞いていた。友人たちも、日本へ確実に行ける保障はなく、故郷へ帰らなければならないかもしれないのだ。

 フェリーの出発の時間が近づき、彼女は船内に向かうという。グレースと友人たちが、抱き合い別れを惜しむ。グレースは時折、僕らのほうを笑顔で振り返りながら、埠頭の人ごみの中に消えていった。

 グレースがミンダナオ島に帰ってから数日後、セシルに、もし日本に行けない場合はどうするのか尋ねた。少し考えてから彼女は言った。

 「ミンダナオには帰らないわ。帰ってもいい仕事がないし、マニラで仕事を探すわ。ボーイフレンドも帰ってくるしね」

 伏し目がちに話す彼女。そのすぐ側で、メールの着信音が鳴った。彼女はすぐさま携帯を手に取ると、一心に画面を見つめながら、指を動かし続けた。

 約2週間、彼女たちのアパートに通い生活を覗かせてもらったが、日本行きが厳しくなっていく中でも、彼女たちの南国気質の明るさは、暗い現実を吹き飛ばすほどのパワーがあった。このまま日本に行かずに、フィリピンで暮らしているほうが幸せなんじゃないかと思えてくることもあった。

 ただ、家族や自分の将来のために、より現金を稼げる日本を目指したという気持ちは強いのだ。果たして今後、彼女たちは、どう生き抜いていくのか。

◆そしてフィリピンパブへ
 マニラで彼女たちの取材をした3か月後、見知らぬ番号からの着信があり、電話を取ると、「こんにちは、覚えてますか?」と片言の日本語が聞こえてきた。声の主はマニラのアパートに暮していたタレントのピンキーだった。

 僕はマニラを離れた後も、ネパールの取材などで数か月間、日本を留守にしていた。その間に、彼女はビザを取って日本にくることができたのだった。他のタレントたちの近況を尋ねると、何人かは日本に来ることができたそうだ。ただセシルはフィリピンにいて、シェーンは日本行きを諦めて香港で働いているそうだ。

 日本での仕事について尋ねると、沈みがちな声で言った。

 「仕事は大変よ。スケベなお客さんも多いから、同伴の時は気をつけないといけないわ。信用できるお客さん以外は車に乗らないようにするの」

 店ではノルマが決まっていて、週に一度の同伴をこなさなければならないという。いきなり日本に来て、見知らぬ土地で、見知らぬ客とデートするということは大きな不安がつきまとうことだろう。

 馴れない日本で半年間働いても、彼女たちが得られる現金は少ない。基本的に夕方6時から午前2時か3時まで働き、休みも月に一度か二度、そうして得られるのは半年間で20万円ほどしかない。額面では月20万円の収入があることになっているが、必要経費ということで削られてしまうのだ。

 フィリピンパブを取り巻く問題は、入国するタレントの数を削減するだけで簡単に解消できるものではない。日本におけるタレントの労働環境の改善など、様々な問題が複雑にからんでいるのだ。

 彼女から電話がかかってきた1か月後、久しぶりにピンキーに電話すると、以前話した時よりは張りのある声で言った。

 「この間、お客さんと焼肉を食べにいったのよ。今度はディズニーランドへ行く約束をしたの」

 何とか日本での仕事にも馴れたようで、ホームシックは解消できたようだ。

 「クーヤ(お兄さん)、ミスユー」

 最後にそう言うと彼女は電話を切った。営業トークも板につき、この分ならうまくやっていくことだろう。

【やぎさわたかあき略歴】
1972年神奈川県生まれ。ネパール共産党・毛沢東主義派の取材を中心にアジアの社会問題を取材している。著書に『ネパールに生きる』(新泉社)がある。



 
 
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