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仏教徒の最西端の村
2003年8月号(通巻45号)/680円
 2003年8月号から:

【連載】バンコク闇ナベ旅行
文・写真 藤井伸二

第34回:そして今年も祭りは終わった

 
 
 
 2003年のソンクラーン。バンコク最大のクレイジーゾーンであるカオサン通りでは今年も前日から水かけが始まっていた。ポンプ式高圧水鉄砲とペーンと呼ばれる白い化粧粉の使用が禁止のはずだったが、正午を回る頃には通りを行く人の顔も服も、通りそのものも真っ白だった。通りの両側の入口には警官が立ち、持ち込みを厳しく取り締まっていたが、中の屋台では堂々と売られていた。警官と屋台の永遠に続くいたちごっこだ。

 ソンクラーンの三が日、私の予定はなにもなかった。濡れるのは確実なので電話は持ち歩けないし、メールチェックもできないから予定が入っても連絡はつかない。バカ騒ぎ以外の情報から遮断される三日間、それがカオサンで祝うソンクラーンなのだ。

 人出は時間を追うごとに急速に増え、場所によっては道幅10メートルほどの通りを横切るのに3分以上かかる事態になっていた。通りでは酒も売られ、仮設ステージ上では酔っぱらった若い衆が踊り狂っている。こうなると喧嘩もあって、私が見ただけでも毎日3度は必ずあった。なにで殴られたのか、額から流血している少年もいた。しかし、あまりの人の多さで喧嘩になっても技が繰り出せず、騒ぎそのものも人波に押され、すぐにお流れになってしまう。これはこれでよいことだろう。

 人出は夜になるほど増えてきて、暗くなる頃には歩くのも困難な状態となる。そんな中、中日の2日目、通り中程のD&Dインに泊まっていた白人女性が酒に酔って窓から表に水を撒きだし、さらには調子に乗ってテラスに出て、勢いでトップレスになってしまった。成り行きを見上げていた見物人は突然のストリップショーに大声援で応え、さらには一目見たさにまた人が集まり、D&D前は一時危険な状態にまで達した。最後は警官が女の部屋に踏み込んで事態を収拾したが、度を超えた外国人の悪ノリにあきらかな嫌悪を示していた地元人も多かった。ソンクラーンについてきちんと説明していないのは問題だ。旅行パンフレットはもちろんガイドブックにも「水かけ祭り」としか書かれていなかったりするが、ソンクラーンは元来、静かに仏歴上の新年を祝う行事なのである。

 10年以上前、タイ東北部ナコーン・ラーチャシーマーのはずれの小さな農家でソンクラーンを祝ったことがあった。

 前夜からその農家に泊まり、当日の朝、小さな桶に水を入れ、1キロ以上も離れている寺まで赤土の道を歩いていった。

 粗末な礼拝堂の壁際に僧侶と老人たちが並んで座っていた。我々は彼らの前でありがたくお経をいただき、新年にちなんだ語りを聞き、それから差し出された彼らの手に静かに水をかけた。そうやって相手からは逆に清めた聖水をいただき、ワイを繰り返すのだ。

 ほとんど信仰心のない私だが、僧侶や老人から祝福の言葉とともに水をかけてもらうと、なんとなく励まされたような気になった。それまで力まかせの水かけ遊び以外したことのなかった私は、このとき真実のソンクラーンに触れたような思いがしたものである。

 しかし、いまでこそ素晴らしい想い出になっているが、当時私は28歳で、あまりの落ち着き加減に物足りなさを感じていたのも事実である。タイの心に触れる行事に接しながらも、肌を裂くような強い日差しの下、私は力の限り水をかけ合う激しい祭典を求めていた。ちょうど今、髪を金髪に染めた少年たちが暴れながら水をかけ合っているように。

 マナーがもっとも最低だったのは2年前ではないかと思う。水かけは年を追うごとに派手になっていき、ソンクラーンは「なにをしてもかまわない無礼講の三日間」という雰囲気にもなっていた。カオサン通りでの騒ぎも荒れ始め、水かけは「相手を驚かせる」のが目的に変じた。当初は水に氷を入れて震え上がらせていたが、やがて水にシロップやトウガラシを混ぜて気味悪がらせるようになった。私の友人は小便混じりの水をかけられて憤慨していたが、そういうことも事実としてあった。同じ聖水でも天と地の違いである。

 セクハラもあって、ペーンを塗りつけるふりをして胸や尻に触ったり、下着に手を入れたりする輩が続出した。被害に遭った女の子が歩道で泣いていた。高圧水鉄砲を顔面に受けての失明騒ぎもあった。ソンクラーンの期間は海外旅行に行くと言い出すタイ人が増えたのもこのころだった。

 ソンクラーンははたして祭りなのか? あるいはいつから祭りになったのか? 私が初めてソンクラーン体験したのは80年代の終わりの頃だったが、そのころは、まだまだずっとのんびりした1日だったように思う。

「濡れたTシャツが女の子の体にぴっちり張り付いて色っぽいんだよね。だからみんなお気に入りの女の子めがけて水をかけるんだ。すっかり濡れている女の子ほどかわいいってことなんだよ」

 まだ「アロイ」以外のタイ語を知らなかった頃、長旅を自慢する先輩旅行者が私に言った。それが当時のソンクラーンだったのだ。毎年4月13日が近づくと、彼の言葉を思い出す。水をかけてみたくなるような、浅黒いその肌に水がしたたる姿を見てみたい女の子はいないだろうかと探しながら。

 そして心地よい疲労とともに三が日が終わると、毎年同じことを思うのだ。色っぽい女の子。水に濡れたシャツを着た女の子。ああ、来月もソンクラーンがあればなあ、と。

 今年もソンクラーンは終わった。飾り付けは最終日の深夜にすべて取り外され、翌日の風景はいつもの日常に戻っていた。

 路上にまき散らされたペーンは流れずに残っていて、夜になっても街は白かった。通りを歩く人も少なく、疲れからか人の動きはすべて遅い。路面の白さもあいまって、まるで雪景色のように冷たく静謐な空気が漂っている。いつもは騒音のようにうるさい音楽を垂れ流すCD屋やパブも、まるで仕事を忘れたように静かでおとなしい。

 そう言えば10年以上前のカオサンの夜はいつもこんな感じだった。暗いところの方が多く、路地の入口には大麻の売人が立ち、忘れた頃にトゥクトゥクがやってきた。アジアの夜らしい怪しさがそこかしこにあった。

 ソンクラーンが終わった翌日、カオサン通りは一瞬だけ過去に戻る。祭りが終わった寂しさとともに。


【ふじいしんじ略歴】
アジアの深部を追求する集団「ジャアク商会」の代表者。旅の不思議を探る「闇ナベ旅行術」の第一人者でもある。現在、タイを拠点にアジア各地で活躍。著書『素顔のアジアは闇ナベ気分』(立風書房)、『金なし、コネなし、タイ暮らし!』(イカロス出版)。
 http://www.jyaaku.com
 mail@jyaaku.com


 
 
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